身を以て思い知った。
三年前、財布を落とした。
妻が私の誕生日プレゼントに買ってくれたものだ。
『ボッテガヴェネタの長財布』
私のような安月給の清掃員には、全く似合わない高級品だ。
妻が無理をして買ってくれたものだった。
定期的な手入れを欠かさず、大切に使っていた。
2017年11月23日
点検に出していた自転車を取りに行った。
自転車屋までは、徒歩で20分以上。
現在も愛用しているワンショルダーのバッグを背負い、「スマートフォンを見ながら」歩いた・・・
後に、これを心底悔やんだ。
自転車屋に着き、点検費用を精算しようと、背負っていたバッグを見ると
「あれ⁉︎チャックが開いている」
そして・・・
『財布が無い‼️』
慌てて来た道を戻った。
3往復して確認したが、見つからない。
その後、交番へ駆け込んだが、やはり届いてない。
お巡りさんは、「日本では、持ち主に帰ってくることが多いんですよ」と、優しい言葉を掛けてくれた。
まあ・・・
私は落とし物は必ず警察へ届ける。
仕事現場では、度々あるのだ。
しかし、私自身は他人をアテにはしない。
「自分は必ず警察へ届けるから、他人もそうするはずだ」
私はそんな事は全く思ってないし、期待もしてない。
だいたい、自分の不注意で大切なものを落としておきながら、他人の善意に頼るなんて、ムシのいい話である。
『終わった、もう財布は戻ってこない』
あの時は、絶望感しかなかった。
中身はどうでも良かった。
お金は働けば稼げる。クレジットカードは連絡して、止めてしまえば良い。
だが、あの財布は『妻が私の為に買ってくれた物』である。
「買い直せばいい」なんて物では、無い。
その財布に対する、『強い思い入れ』がある。
『妻と私の想い』が詰まっている財布だった。
数日後、精神的に落ち着きを取り戻し、自身の行動を振り返ってみた。
まず、バッグのチャックが開けっぱなしだった。
閉めたはずだった。だが、しっかり確認したわけではない。
「はず」ではなく、間違いなく「閉めた」ことを確認すべきだった。
そして、「ながらスマホ」が最悪の行為だった。
おそらく・・・
「歩いていただけ」ならば、落とした時に気付いたと思うのだ。
僅かでも「音」がしたはずだから。
歩きながら、スマートフォンに夢中になってしまった。
だから、その僅かな「音」に気付かなかった。
そう思うのだ。
ながらスマホ
運転中は厳禁!歩行中も厳禁!
スマートフォンが見たければ、「ながら」ではなく、スマートフォンだけに集中する。
これが、大切なものを失くした代償として、得た教訓である。
Alexas_FotosによるPixabayからの画像