愛社精神など「不要」である

愛社精神

私のような昭和のおっさんが好きそうな言葉だが・・・。

 

 

会社員は、社業発展の為に全力を尽くす、貢献する。
そして、その対価(給料)を受け取る。
精神論的なものは不要である。

 

昨日の日記で書いてしまった「愛社精神」という単語。

私は大嫌いだ。

 

私は、「お金」の為に働いている。
稼いだお金で、家族や生活を守る。

 

「愛社精神」など持ってなくとも、サラリーマンは務まるのだ。

 

 

専門学校を卒業し、最初に就職した会社は「大企業」だった。
そこで、当時の上司や先輩から言われた言葉は・・・。🖕

 

会社に骨を埋める。

2020年9月19日・日記

 

あれから約30年が経った。
社会人としての経験も、それだけ積んだ。

そして、「51歳」になった今でも、この言葉は理解不能である。

 

当時の上司や先輩は、私に「愛社精神」を植え付けようとでもしたのか?

 

清掃員クロア
😝

 

いずれにせよ、だ。

今現在、私が自分の心を殺してまで仕事をするのは、「自分自身の為」である。

 

会社の黒字化の為に、他を犠牲にしてでも全力を尽くす。
今はそうしなければ、自分の生活を守れない。

ただ、それだけの事だ。

 

「愛社精神」とは全くの無関係。

そんなものは不要だ!

 

ただし、
私のような考え方のサラリーマンが、会社から必要とされるか否か?

それは、私には分かりません。🙄