握手には、“何か” がある

コロナ禍の現在、
握手に代わるものが「グータッチ」、あるいは「肘タッチ?」である。

 

握手』という習慣は、無くなってしまったようだ。

 

 

2017年の衆院選。

私は、選挙活動中だった「立憲民主党の候補者」から握手を求められた。

 

「宜しくお願いします。」

という候補者に対し、私はこう答えた。

 

清掃員クロア
立憲民主党は支持出来ませんが、選挙活動頑張って下さい。

 

そして、『握手』に応じた。

何故、応じたか?

 

先ず、第一印象がとても良かった。
姿勢、身だしなみ、話し方などなど。

 

 

そして、
その候補者の印象を、更に良くしたのが『握手』だった。

 

 

両手で、私の手を適度な強さで握る。
そして、そのまま私の目を見て、しっかり話す。

 

 

私は、今も昔も「立憲民主党」は嫌いだが、その候補者には好感が持てた。

 

 

後日、
その候補者が当選したと知った時、私は嬉しかった。

 

清掃員クロア

国政で頑張って下さい。😸

 

やはり、
政治家は、有権者と『握手』すべきだと思う。

 

 

 

では、選挙活動中の候補者から、「グータッチ」を求められたら・・・

 

うーむ・・・🙄

 

おそらく、私は拒否する。

 

 

清掃員クロア

ジャイアンツの原辰徳監督だったら、グータッチしたい!

 

何故ならば、
「グータッチ」や「肘タッチ」は、『握手』の代わりにはならないと思うからだ。

 

 

私の勝手な思い込みだが、

 

握手には、「何か」がある。
「何か不思議な力」がある。

 

 

清掃員クロア
オカルトだけど・・・😓

 

 

 

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