月命日 ~東日本大震災から10年~

今月も迎えた義母の月命日。

そして、今日で東日本大震災から「10年」となった。

 

 

10年前の私

 

当時住んでいた街の「ビジネスホテル」に勤務していた。

日記で何度か書いたが、「50社に応募書類を送り、ようやく拾ってもらった会社」が、ここである。
2月5日の日記

 

 

記憶を辿る

 

2011年3月11日(金)14時46分

発生時刻は今、ネットで調べた。

 

私が覚えているのは「15時前だった」という事。
それは、勤務していたホテルの「チェックインタイム」が15時だったからである。

 

当時、私はこのホテルの「客室担当責任者」だった。

お客様を迎える客室の準備が整っているか。
チェックインタイムまでに、全室の点検を終えなければならない。

 

その点検の最中、それまで経験した事のない、大きな揺れに襲われた。

 

 

私の部下が1人居ない!

 

エレベーターが動かなくなってしまった。

不幸中の幸いだったのは、館内にお客様が居なかったことだ。

 

地震発生時、私は「2階」に居た。
他のスタッフ達と一緒に、外に出たのだが・・・

 

私の部下が1人居ない!

 

エレベーターが動かないので、私は8階建てのホテルの非常階段を駆け上がった。

3階に居ない!

4階にも居ない!

 

記憶が定かでは無いのだが、確か6階か7階に、彼女は居た。
そして、私の顔を見るなり、彼女はこう言った。

「凄い揺れたねー」

 

当時70歳くらいだった彼女は、ベテラン客室清掃員。

こんな状況にも動じる事なく、仕事の後片付けをしていた・・・

 

 

遠い記憶

 

震災から10年。

具体的には書かないが、私の両親が被災地を支援している事を知ったのは、ここ最近の事だ。

 

私の両親は「お金持ち」では、ない。
年金で細々と暮らす「老夫婦」だ。

それでも、「自分達に出来る範囲内」で、続けているらしい。

 

そんな両親を持つ息子の私は、胸を張って言えるような事は何もしていない。

それどころか、記憶が薄れつつあった。

 

あの日、非常階段を駆け上がり、部下が無事だった時の安堵感・・・

その時の感情も、もう既に「遠い記憶」という感じである。

 

 

いつか妻と一緒に

 

東北はまだ復興半ばである。
にもかかわらず、私は完全に「平和ボケ」している。

反省・・・

 

生きている間に、妻と一緒に被災地を見たい。

そして私達夫婦にも、何か出来る事はないのか、話し合いたい。

 

両親を見習って。