私はプライベートでは、家族としか付き合わなくなった。
友達と呼べる人は居ないし、そんなものは今更要らない。
友達と呼べる人は居ないし、そんなものは今更要らない。
うーむ・・・🙄
昨年の日記に、こんな事を書いていたのか・・・🤔
まあ、確かに。
「友達」なんて、今更要らないねぇ・・・。
休日、私は神社や公園へ行くのが好きだ。
「ひとり」で行くのが好きだ。
その方が落ち着くし、マイペースで楽しめる。
ただし、「仕事」の場合。
「友達」は要らないが、「仲間」は必要だ。
私の「仲間」の定義とは、
『一緒に物事(仕事)に取り組む人達』である。
『一緒に物事(仕事)に取り組む人達』である。
例えば、私の仕事。
私の役割は、集合住宅の庭や駐車場、共用通路などの「清掃」である。
同業他社の私の “仲間” は、「室内の清掃」を担っている。
「仲間」と一緒に、担当する集合住宅を “キレイ” にする。
私「ひとり」で、 “キレイ” にしているのでは、ない。
それは出来ない。
「仲間」と一緒に、やっているのだ。
そんな意味で、
「仲間」は必要だし、私は彼らを大事にしている。
しかし、だ。
「仲間意識」は要らない。
私は、そう思っている。
何故ならば、
この「意識」が強くなると、“馴れ合い” になってしまう危険があるからだ。
今、私は転職活動をしている。
求人広告を見ると、
「職場は、和気あいあいとした雰囲気」
なーんて、書いてあるものがある。
うーむ・・・🙄
俺は、それが苦手・・・😑
私は、職場は “適度な緊張感” があった方がいい、と思っている。
私にとって、
職場の同僚は「仲間」だけど、「友達」ではない。
だからねぇ・・・
“和気あいあい” は苦手だな。