続き・理解不能な「上の人」 

結論

「年寄り扱い」されるようになってからも、やはり逃げた。
自分が嫌いな人達と付き合うのは、どうしても耐えられなかった。

 

では、昨日の続きを書きます。

 

 

状況の変化

 

私は主に「ハローワーク」で仕事を探した。

 

35歳は年寄り扱い

 

現在の状況は把握していない。

ただ、私が「30代」だった頃は、35歳で線引きされていた。
応募出来る会社の数が、この年齢を境に減ってしまった。

 

「長期キャリア形成云々」と求人票に書かれていた記憶がある。

早い話が、「年寄り扱い」されたのだ。「年寄りお断り」という事だ。

 

それまではハローワークに行けば、割と簡単に就職出来た。
ところが、応募出来る会社が減ってしまったのだから、就職は困難になった。

 

 

応募書類50社

 

2020年11月5日の日記

年齢に加え、私の怠慢が追い討ちをかけた。

 

「勉強しなかった」

 

「武器」を持ってなかった私の商品価値は、全く無し。
面接すらしてもらえなかった。

 

結果、約50社もの会社に応募書類を送る羽目になった。

 

 

それでも変わらなかった私の性格

 

こんな苦労をして、ようやく拾ってもらった会社も、理解不能な「上の人」と衝突し、退社 😓

年寄りになっても、私は変わらなかった。
いや、変われなかった。

 

理解不能な「上の人」と付き合う事は、応募書類を50社に送る苦労よりも、耐え難いと言うことだ。

 

 

立つ鳥跡を濁さず

 

若い頃は引き継ぎなど一切せず、「後の事は知らん!」と辞めてきた。

それが、「とにかく残る者たちに迷惑をかけないように」と後始末だけは徹底した。

そして衝突した「上の人」にも、「お世話になりました」は必ず言うようになった。

 

 

その理由

 

今、こうして日記を書きながら、「そう言えば・・・ 🤔  」と思い出した事である。
だから何故、自分が後始末をするようになったのか、分からない。

「お世話になりました」も、若い頃の私なら絶対に無かった言葉。

 

歳をとって、体型と共に、心も「丸く」なったのかもしれない。

 

 

最後に

 

人生は有限だからこそ、自分が嫌いな人達と付き合って、心身を消耗することは無い。

そんな人生、面白くないし、楽しくない。

改めて、ここを主張して、今日の日記は終わります。

 

 

amfXZによるPixabayからの画像